再現できないものと、再現できるもの ー ART治療の「拡散」を、あなたの人生に収束させるために ー

馬車を引くために遮眼革とハーネスを装着した二頭の馬と、手綱を握る御者の手を並べた画像。視野を絞ることと、意思を伝えること——ART治療において拡散する選択肢を収束させる「ハーネス」の比喩を示している。
目次

0章)はじめに・・

開いているクリニックもあるし、オンラインカンファレンスや電話カンファレンスは、いつでもできる環境を作っている。
お盆だろうが、患者さんたちは走っているからだ。

まずタイトルほ補足の一文を入れて置かせてください。

「再現できないものと、再現できるもの」と書いた理由は、
あなたが消耗している理由は、あなたの努力不足ではない。再現できないものを、再現しようとしているからだ。
では、この治療の中で何なら患者自身が再現できるのか?

これをテーマに書いていく。

後回しにしたツケは、金額になって現れる

そうした世間のお休み期間中でも、凍結胚の廃棄や、凍結精子の廃棄の相談もよく受ける。
今年のお盆期間中にも、そういう案件があった。
妊娠が成立し、安定期に入った方だった。

お盆の間も、ずっと仕事をしていた。

「凍結期限が来月だけど・・どれを残して、どれを破棄するのか?」

凍結期間はそれぞれの個体で違う。
「あとで考えればいいや」とやるべきことを後回しにしていると、無駄な出費になる。それも、巨大な出費だ。

今、出産を来月に控えている方の話だ。
今でこそ笑い話になっているが、こんなことがあった。
転院して以前のクリニックから胚移送をしようということになり、凍結代が60万を優に越えた。
期限を超えて、雪だるま式に積み上がっていたのだ。
培養士のTOPと相談となり、金額交渉をして少し金額を落としてもらう設計図を患者さんと作ったこともある。
幸いそのTOPは、医師からかなりの権限を与えられており金額の権限も有していたから成功をしたけど、普通は無理だ。
もっとも、金額交渉をしようとする患者さんも殆どいないだろう。

凍結の期限が近づいてきて、処理を放置した上記の患者さんは、
面倒な書類手続きを「後送り」したツケがこのようになる。
お金が無かったから滞納したのではなくて、逆にお金があったから滞納に無頓着だったようだ。
本人は、「決して忘れていた訳でもないんです。いつも気にかけていたんですよ」と当時言っていたけど。

その他にも、うっかり忘れがちな凍結精子の人もいた。
一度転院して駄目だったから古巣に戻ってきたときに累積凍結費用の存在を知った方は、30万強を支払った。
この方もすっかりと忘れていたと言っていた。
二人とも、巨大な債務の存在を知った時は、頭を抱えて私に電話をかけてきたものだ。

タイムラインを整理すると、何が見えるか

二人とも時間軸(タイムライン)で期限が来る問題を重要視していなかった。
それは結果であって、その前に目先の治療周期に意識を全振りしていたからだ。
起こるべきことが、当然のように起こったのだ。

廃棄の提案は、クリニックからはほぼされないのは当たり前だ。書面でするような話ではない。
凍結の期限を延長するか?廃棄するか?の書面上の確認があるだけだ。
   (※ 海外に凍結している場合は、公証役場の第三者のサインが必要だ。それほど重い意思決定となる。)
でも患者さんがクリニックに相談したいことは、目先のプランではない。

この胚は時系列のここで使えるから、残しておこうとか、期限が早めに到来するこれをどうするか?などの・・
今後の長い目でみた移植プランニングだったり、可能性の少ない胚や精子をどうするか?
(高齢の場合に特別に許可された)2個戻しの抱き合わせを検討できるレベルのものなのか?
 (※ 多胎防止の為に1個戻しが基本だが、年齢や既往歴によって2個戻し等は主治医によっては許可となる)
そもそも個数が奇数だったら偶数にするのに何をしたらいいのか?
そうした近い未来の設計が必要になる。

だから患者さんの方から、主治医に意見を求める必要があると思う。意見を聞きたいであろう。
しかし、主治医から「自分で決めてね」とか「あとでいいんじゃない」と言われた時にどうするか?
その場合は、自分の意思決定をどう修正するかを知っておかないとならない。
その為にも自分が最初にもっていなければならないのは、「で?その時どうする?」だ。

まずは、クリニックから「自分で決めてきてください」と言われるのも、もっともだ。
そう自分で話を置くことからはじめてみよう。
確かに相談をすれば、主治医もグレードの評価などは詳しく教えてくれる。
けれど、患者さんの近未来のタイムラインでどうするかは、本人に委ねられる。
「この時、近い将来にどうプランニングをしたいのか」

そのためには、まず本人がタイムラインを把握していないといけない。特に未来のこと。
これから何が起こり得るのか。どんな出費が、いくら発生するのか。
採卵を優先するのか?移植を優先するかの?3ヶ月先のプランを主治医から提案を求めている人も多いと思う。
採卵には採卵できるリミットがあり、移植できるリミットがあり両者のズレに、IVFの不確実性が横たわっている。
だから私は、そのタイムラインを整理してあげる。

もちろん、患者が主治医に相談しない(できない)のは、不妊治療特有の心理的・構造的な壁があるためだ。
患者側は「診察時間の短さへの気兼ね」や「医師への萎縮」を感じており、
医師側は「医学的な正論」を伝えるため、両者の間に大きなギャップが生まれているのを前提において
どう先生に相談をするのか?を整理してあげている。そうじゃないと本人が意思決定(Decision)を出せないし
先生ともうまく話せないからだ。

すると患者さんは、どうなりたいかを考えながら、
その目的のために何が障害となり得るかというクリティカル・パスが見えてくる。
そこに患者さんの複数の意思決定を、パン屑のように仮置きしていく。
患者さんは、やがて全体が見えるようになる。
そこから自分で意思決定を絞りこみ、それをBASEに主治医とガチな相談ができるようになる。
今回のblog記事は、この「全体感を掴む」をテーマにして書こうと思う。

AIから納得できる答えを引き出すために

何をしようかな? どう使おうかな?

直近の治療上の悩みに遭遇した時、AIを使う患者さんもいると思う。
AIは本当に身近になった。AIを誰もが使うようになる。30年のEXCELができる人がもてはやされた時代は
もう誰もがEXCELを使えるようなったように・・AIもコモディティ化(汎用化)しつつある。
EXCELでこんなことが出来る、すごーいとか、AIでこんなことができてすごーいというは過去の話に話に
なりつつある2026年.8月。

では、AIから納得できる回答を得るにはどうしたらいいか。
そういうスキルが、今の時代は必要になっている。

AIも主治医も、専門家だ。
専門家をどう使うかというスキルは大事だ。
けれどその前に、自分はどうしたいのかが決まっていないと、
相手は答えようがない。一般論を話されて終わる。

「いや、そういうことではない」と言えなくてはいけない。
それがAIへの、患者自身からのFeedbackだ。そうしてAIを自分専用に仕上げてゆく。

なぜAIへFeedbackをするのか。
「再現性」を求めていること、再活用できる智慧として資産化をしたい人が多いのかも知れない。
今度、また同じような問題にぶつかったら、その場でシュッと即対応したいから。
少なくとも私はそう思って、AIからの答えをそう管理をしている。

1章)再現できないものに、苛立っている

患者さんが治療で最も消耗するのは、うまくいかないことそのものではない、
と私は思っている。

前回と同じプロトコル。同じ薬。同じ説明。
それなのに、結果だけが違う。

同じことをしているはずなのに再現されない。【再現性の欠如】
その苛立ちが、時間とお金と一緒に積み上がっていく。

この苛立ちは正当なものだ。
なぜなら、治療は本質的に再現性の低い領域だからだ。

お盆に、地元で待ち合わせて・・久しぶりに旧い友人と食事をした。
築80年の平屋をリフォームしたカフェ&バルのお店。 隣には城下町にぴったりのお堂がある。
その店のラタトゥイユを、また食べたかったのだ。夏野菜の季節だからだ。
ズッキーニ、ナス、パプリカ、トマト、玉ねぎ。

ラタトゥイユは、普通に作ると野菜から出た水分が多すぎて味がぼやける。
ところがこの店のものは、コクがある。

同じレシピでも、こうはならない。
気温、湿度、その日の野菜の水分量。
変数が多すぎて、レシピ通りに作っても同じ味にならないからだ。

ではなぜ、この店のラタトゥイユは、毎回そこに着地できるのか。

ゴルフも同じだ。(私は下手だ。100切りのアベレージ・ゴルファ)
風、傾斜、ライ、その日の体調。
同じクラブを持っても、同じ球は出ない。

「変数」が多すぎて、絶対的な一つの正解が存在しない。

ART治療はそこに、さらに厄介な条件が加わる。
試行回数に限りがあり、一回あたりの費用(単価)が大きく、
そして時間が有限であるということだ。
採卵できるまでの有限と、移植できるまでの有限でもズレがある。

だから「とりあえずもう一回」が、他の領域よりずっと重い。

アマチュアのゴルフと料理ならば、やり直しが何度でも効く。けれどプロの世界は違う。
人生をかけているプロのゴルファーと料理人は、勝負という土俵にいる。
ゴルフコースにその日嫌われたら終り、料理をだしたお客さんに嫌われたら暖簾を畳まなければならない。
一発で「NO」のFeedbackをもらうから、それはART治療と似ている。

一回一回の失敗にこそ、それから学べることを積み重ねないと未来が続かないのだ。
糸のように紡ぐ作業だ。
貴重な繭をよくほぐし、短い繊維を引き出しながら、糸車にかけてよる。
ネジリをかけて強度を出してゆく地味な作業がいる。

1910年頃の絵葉書
糸車

1:「貴重な繭」= 限られたチャンスとデータ
2:「引き出し、ねじりをかける」= 失敗からの分析と修正
3:「糸車にかける地味な作業」= 泥臭い継続

一発の魔法のような正解はないからこそ、泥臭く微調整しながら継続しなければいけない。
でもなぜ、彼らはこんなにも地味な作業を続けるのか?
なぜ? 淡々と糸をカラカラとつむぐことを続けるのか?

それは一本の太い糸(=結果)に繋がるのを知っているからだと思う。
結果を出して華やかな一瞬は目立つけど、そこまでのプロセスの習得の方が肥やしになる。

2章)では、何なら再現できるのか?

ここで問いを変えたい。

ART治療は再現できないものを再現しようとするから、消耗する。
では、何なら再現できるのか。

結果は再現できない。けれど、決め方(=プロセス)は再現できる。

何を優先するか。何を諦めるか。どこで区切りをつけるか。
その判断の枠組みは、自分で作ることができるし、
一度作れば次の周期でも使える。

この枠組みのことを、私は「フレーム」と呼んでいる。

結果に一喜一憂している間は、毎回ゼロからやり直しになる。
フレームを持っていると、結果が出るたびに、
そのフレームに照らして次を決められる。

同じ失敗をしても、意味が変わる。

あの店のラタトゥイユに戻る。
あのシェフは、レシピを再現しているのではない。
今日の野菜の水分量を見て、今日のお客さんの顔ぶれを考えて、
味の着地点を一皿に収束させている。
再現しているのは味ではなく、着地点の決め方のほうだ。

料理人もプロのゴルファーも、日々の地味な作業で
この「フレーム」を作り直しているのだろう。

3章)最初の入力が、すべてを決める

料理では、下ごしらえを間違えると後からリカバリーできない。
切り方、塩の振り方。この「初期入力」でほぼ決まる。

ゴルフでは、アドレスとグリップという「初期設定」を
よかれと思って変えてしまうと、どんなに良いスイングをしても球は曲がる。

AIも同じだ。
以下は、ART患者さんが「AI」を使って相談する時に役立つ話をしよう。
AIを使う時に前提条件や指示が雑だと、的外れな回答しか返ってこない。皆様もご経験をお持ちだろう。

治療でも同じことが起きている。AIユーザーの患者さんは多いと思う。
ヒントを書くと下になる。

2つの視点でとらえた4つの問い

ART治療でAIを利用する際の4つの問いを示した図。「知る」「理解する」「考える」「自由になる」の4段階を、解像度と構造化レベルという2つの軸で整理している。
01から04へ。同じ問いが、位置を変えていく

▓図の説明:

四つある。
最初は「知る」ための問いだ。自分が何を知らないのかを、輪郭のあるかたちにしていく。ここで解像度が上がる。

次が「理解する」ための問い。知ったことを自分の中で並べ替え、意味を持たせる段階だ。
ここから構造化が始まる。

三つめが「考える」ための問い。自分の中で組み上がったものを、外に向けて使える形にする。
主治医に何を確認すべきかが決まるのは、ここだ。

最後が「自由になる」ための問い。自分を縛っているものが何なのかを、はっきりさせる。
自由とは選択肢が増えることではない。何が自分を縛っていたのかが見えることだと、私は思っている。
縛っているものが見えれば・・選択肢を絞れる。それが自由ということだ。

上図の左側を見てほしい。
01は原点の外にある。解像度も構造化レベルも、まだ低い位置だ。
けれど、ここが一番大事になる。01を飛ばして03から始めようとする方が、とても多い。
知るための質問を飛ばし、理解する為の質問すら飛ばし、
いきなり、材料が少ないのに「考えるための質問」に飛びつてしまう。
・・白紙委任状を出すような感じになってしまうのだ。

診察室で、あるいはAIに向かって、
最初に置く問い「01」や「02」が曖昧だと、返ってくるのは一般論になる。
AIのいう個別化されていない一般論は使いものにならない。

また主治医がいう一般論の怖さは、
失敗が続いている方は、慰めをもう何度も受け取っているから、効かないことを知っている。
むしろ、慰められるたびに何も変わらなかった記憶が積み上がる。

最初に置く問いが曖昧なまま、質問03から「私はどうしたらいいでしょうか⁉️」と聞いても、
この問いには誰も答えられない。あなたの主治医も、AIも。
答えられるのは、こちら(あなた自身)が問いを具体化したときだけだ。

Q:3ヶ月後、半年後までにどうなっていたいのか?
Q:費用の上限はどこか?
Q:仕事とどう両立させるのか?
Q:何を最も避けたいのか?

これが決まっていないと、
どんなに優秀な専門家に相談しても、
どんなに高性能なAIを使っても、出力は変わらない。

特に個別化された答をAIに出してもらう為には、
相応の情報を提供しないと一般論という煙にまかれるだろう。
情報も上手に順番を決めて出していかないと、
勝手に判断されてもっともらしい答がやってくる。

一番大事なのは、最初だ。
最初の入力を作るのは、患者さん自身の一番大切な仕事だ。
最初の入力はキー入力の前の段階で、
頭の中に浮かんでいる言葉にならない疑問文から始まっている。

これも、料理やゴルフと似ている。

お盆に、旧い友人と食事をした。
バルで一緒に飲んだ彼とは、毎回同じ流れになるんだ。

料理の話▶ゴルフの話▶ITやAIの話になる。
「なぜ?俺達はいつもいつもこのコースの流れで酒を飲むのか?」
という話題を私は彼に振ってみた。
彼はこう言った。

料理、ゴルフも ITやAI話題でも・・俺達が関心あることだから
いつも疑問を持っているからじゃないか? 
自分が今持っている「最初の質問」から芋づる式関心事が出てくるだけだろう。
コントロールできないものばかりを、昔から追っかけているヲタクだからだ。

最初の質問・・・「プロンプト(命令)」の質が、そのまま成果(出力)になる」

料理などは最悪だ。下ごしらえ(切り方、塩の振り方)という「初期入力」を間違えると、後からリカバリーできない!!痛すぎる。
ゴルフはどうか?アドレスやグリップという「初期設定」をよかれと思って欲をだして変えてしまうと・・
どんなに良いスィングをしても球は曲がるし、下手するとトリプルPARだってあり得る。

頭がカーっとなって大叩きする。

大叩きをし、
このコースのスコアは捨てて
ロストボールすら拾っていかない私。

駄目ゴルファーだ。


頭の中に描いた設計が、カラダで表現できないから苛立ちが爆発する。
最初のプロンプトがコースの流れで変化しているのに、成功体験が邪魔をして「自分自身の問う質問」を状況に合わせて
更新できないから・・大叩きをするのだ。

4章)ハーネス——拡散を収束させる馬具

ART治療の選択肢は、放っておくと広がり続ける。

次の周期をどうするか。追加の検査をするか。
転院を考えるか。凍結胚をどうするか。
提示される選択肢は、調べれば調べるほど増えていく。

これを私は「拡散」と呼んでいる。
これはいいことだろうか。違う。少しも良くない。

普段の生活では、発散↗と収束↘この2つのプロセスを
無意識に使い分けているが、

発散↗のプロセスで多くのアイデアがAIから出そろったら、
次はそれらを整理する段階が絶対にいる。

これがアイディアの収束↘のプロセスになる。

拡散したものを、一つの決定に収束させる必要がある。そうすると時系列で「質が上がっていく」からだ。
収束に必要なものを、私は「ハーネス」という言葉で考えている。

ハーネスとは、馬具のことだ。

元々は馬などの動物に馬車を引かせたり、
制御したりするために装着する胴輪
(革紐などの装具)を指す言葉だ。

御者は患者さん、主治医は隣に座る人

馬は速い。力もある。
けれど、どこへ行くべきかを知らない。
ハーネスをつけ、御者が手綱を握るからこそ、
馬車は目的地に向かう。
特に、目を覆う遮眼革をつけると・・馬は前方の60度から75度しか見えなくなり、気が散るエリアを排除して
前方のだけFocusした状態で、御者がコントロールをする。

治療の選択肢は、この馬に似ている。



自由とは・・選択肢が増えることではない。何が自分を縛っていたのかが見えることだ
一つひとつは優秀だ。医学的に正しい。
けれど、それらは「あなたがどこへ行きたいか」を知らない。

暴れ馬をセーブするのは、手綱を握る患者が「御者」だ。
あなたの主治医は、その御者の隣に座ってアドバイスをしてくれる人だ。
その方に白紙委任状を全部与えて任せるのも自由。
アドバイスをもらいながら、自分で手綱を握るのも自由。

つまり、御者が手綱を握り、ハーネスを介して馬に意思を伝えられるか。
そこが鍵になる。
拡散する馬を収束させる、ハーネスの理解が一番大事ってことになる。

5章)手綱を握るのは、患者さん自身

制御が繊細な作業をする御者

ここが最も大事なところだ。もう一度言わせて下さい。

手綱を握るのは、患者さんご自身である。AIでも主治医でもない。丸投げをしないことだ。

医師は医学的な最適解を提示する。
AIは膨大な情報を整理して返してくる。
どちらも、局所的には非常に優秀だ。

けれど、「そもそも今、自分の人生において
本当に解くべき問いは何なのか」という全体の判断は、本人が主導権を持つべきものだ。

なぜなら、患者さんには・・医師もAIも持っていない情報があるからだ。

自分の体の感覚。リスクをどこまで許容できるか。
周期によって、どこでセーブ(収縮)させるか。
仕事や家族との関係。何を大切にして生きてきたか。
「治療に投資できるお金」も、その一つだ。

これを私は「生活の専門知識(=生活メンタル・モデル)」と呼んでいる。

どれほど医学的に正しい治療法(=医療メンタル・モデル)でも、
その「生活の専門知識」が土台になっている。
本人が自分の人生に照らして納得しなければ、そこに価値は宿らない。

そして、この価値判断を他者に丸投げしてはいけない。
医師にも、AIにも。

考えてみれば当たり前のことだが、
消耗しているときほど、人は忘れがちだ。

6章)最初に「理解」に時間がかかることは、停滞ではない

決めるのに時間がかかる。
説明を受けても、すぐには飲み込めない。
持ち帰って、何日も考えてしまう。

そのことを、ご自分で責めている方が多いかも知れない。
けれど、その時間は停滞ではないと私は思っている。

かつては、理解に時間がかかることは不利だった。
けれど今の時代は、それは”良いことずくめ”だ。
特にAIを使う為には、この素質はものすごくプラスになる時代が来た。
理由は簡単で、あとで戻ってこなくていいからだ。

これはあなたが会社で上司から言われた指示どおりに進めてから、あとになって「そうじゃないんだよ。やり直し」と
言われた時のあの不快感と同じだ。きっとあなたはこう思うだろう。「それならば最初からそう指示してくれよ」と。

医学的な情報を、自分の『人生の文脈』に置き直す作業には、
本来それだけの時間がかかる。
その作業をしているからこそ、治療が単なる手続きから、意味のある選択に変わる。

理解に時間がかかることは、ハーネスを作っている時間だ。

そしてこの時間は、AIがどれだけ速くなっても短縮できない種類の時間である。

むしろAIが答えを大量に出す時代になるほど、
それを自分の人生に照らして選ぶという作業の価値が上がる。

7章)Minevaが大事にしていること。

私は、患者さんの代わりに決めることはしない。
手綱を握るのは、あくまで患者さんご本人(御者)だからだ。

私がしているのは、『ハーネスの扱い方』をお伝えすることだ。

具体的には、こういう作業になる。

  • これまでの治療歴を時系列に整理する。
  • これから起こり得ることと、そのタイミングを並べる。それぞれにかかる費用を明示する。
  • そのうえで、何を優先するかをご本人と一緒に言語化していく。

こうしてタイムラインが見えると、どこが本当の分岐点なのかが分かる。
さらに、暗礁に乗り上げる『クリティカル・パス』も事前に想定できるようになる。
そこが一番、時間と労力を要するところだ。
その存在を知っている患者さんとそうでない患者さんでは、ステップ・ゴールまでの達成スピードがまるで違う。

そして最後は、患者さんがアドバイザーとしての医師の意見を参考にして、意思決定をする。

分岐点が分かれば、そこで何を主治医に確認すべきかも決まる。

「私はどうしたらいいでしょうか」ではなく、
「私はこうしたいと考えていますが、
先生(=あなたの主治医)にはどう見えますか」と患者さんは聞けるようになる。

この問いの立て方が変わるだけで、主治医から引き出せるものは大きく変わる。

それは「糸車にかける地味な作業」、つまり泥臭い継続になるだろう。
それに耐えられる患者さんだけが結果を出すまでの時間は短いかも知れない。

若い人のラッキーと、年齢が上がった人のラッキーはまるで違う。
若い人のラッキー(かつての自分の成功パターン)は捨てた方が、近道になると思う。

私は診察室には入らない。
けれど、診察室に入る前の準備は一緒にできる。

7.5章)FAQ(よくある質問)

耐えられる患者ほど結果を出す時間が短いと言っているが、私は耐えられなかったから妊娠できないのか?

ART治療は、深い森のあなたとあなたの主治医が歩くような不確実性の世界。
結果は当然、他の医療のようにはコントロールできないFACTがあるが、
治療を一回ごとの成功/失敗で断絶させず、そこから構造を更新し続けられる患者は、迷走の時間を短縮できる可能性があると私は思っている。

では、「治療の構造を更新し続ける」とは、具体的にどういうことですか?

同じ失敗を繰り返さないということではありません。
ARTでは、同じことをしても同じ結果になるとは限らないからです。

大切なのは、一回の結果だけを見て、「今回もダメだった。次は何を変えればいいですか?」
と毎回ゼロから考え直すことではありません。

前回の結果から何が分かったのか。
何が分からなかったのか。
次の周期までに何を確認するのか。

そのたびに、自分の考え方のフレームを少しずつ更新していく

私がいう「構造を更新する」とは、そのことです。

結果そのものは再現できなくても、
考え方や、次に進むためのプロセスは積み重ねることができます。

その積み重ねが、次に迷った時の「ハーネス」になるのだと思います。

「自分で決める」とは、主治医の言うことに従わないということですか?

患者が主導権を持つこと は、 医師と戦うことことでも、対立することでもない。
医師がいないとあなたは何も具体的なことが出来ない。
「先生、私はこう考えています。先生から見るとどうでしょうか?」

という、SDMを主治医側から引き出す技術でしょう。
自分で決めるとは、一人で決めることではありません。

何度も考えてしまい、なかなか決められません。それでも前に進んでいるのでしょうか?

ART治療では、「早く決めること」が必ずしも前に進むことではありません。

何度も考えてしまうのは、単に迷っているだけではなく、
医学的な情報を、自分の人生の中に置き直そうとしている時間なのだと思います。

費用、年齢、仕事、家族、身体への負担。同じ治療法でも、それをどう受け取るかは人によって違います。

だから、すぐに答えが出ないことがあります。

ただし、一つだけ大切なのは、同じ場所をぐるぐる回り続けることと、考えながら少しずつ前に進むことは違う、ということです。

「何が分からないのか」
「何が不安なのか」
「次に主治医へ何を確認すればいいのか」

こうしたものが少しでも言葉になっているなら、あなたは止まっているわけではありません。

理解に時間がかかることは、停滞ではありません。
「何が分からないのか」が少しでも言葉になっているなら、止まっているわけではありません。

私は、それもまた次の意思決定のためのハーネスを作っている時間だと思っています。

8章)まず、一つ決める

いきなり全体を設計する必要はない。 冒頭の凍結胚の話に戻ってみよう。
あの患者さん達も、最初から全部を決めたわけではなかった。
まず「いつまでに決めるか」だけを決めた。それだけで、残りの判断が動き出した。

一つ決めると、次に何を決めるべきかが見えてくる。 パン屑を置いていくように、少しずつ全体が見えるようになる。

再現できない領域で、それでも再現できるものを作っていく。
コントロールできないものを「出来ない」と割り切るのは簡単だ。
けれど前述のプロの料理人や、プロのゴルファーは、 そこに「想像力」を入れて糸を紡いでいる。
その作業を、地味にコツコツと継続的にやっている。
若い人のラッキー(かつての自分の成功パターン)が 今の自分には良い意味で通用しないと学んだからだろう。

体外で苦労していた妊娠前の考え方と、出産後の考え方は、同一人物でも違う。

その理由は、記憶が上書きされてしまうことで、昔の辛かった気持ちが出産後に消えていくものだ。
妊娠中は生まれるまでは何があるか?わからないから不安だから、妊娠前の記憶はクリアに覚えている。
でも、出産したら・・自分だけの生活でなくなるから、人によっては余裕がなくなる。

高齢妊娠で治療期間中の苦労をした方が出産後にどういう変化をしてきたかを私は現場でたくさん見てきた。
産んだ後も連絡を取り合ってきたから、分かることがある。
治療中と産後では、考え方がガラリとかわる人もいれば、同じ人もいる。とても不思議だ。
殆どの人が、苦労した分・・妊娠を希望している最中の人の心をとても察することができる優しい母になる。
その思考パターンは、そのまま 子育てに反映されるからとても興味深い。

出産後・・
遅くに母になった方の、リビングでの会話は深さが違う。 食事の一皿を挟んだやりとりでも、若い母親とは全く違う。
子どもと一緒に、スーパーからもらってきた段ボールで、部屋に秘密基地をつくる時もある。
当然、子どもは些細なミスで壊してしまうが、そこを二人で修理する時の会話もまるで違う。 子どもに返す言葉が違う。

そうした母親は、子どもの脳に絵を描くのが上手い。 段ボールの中でママが作ったお弁当を○○ちゃんと一緒に食べるならば、どんなお家にしようか。 テーブルはどこに置こうか。窓はどこに作ろうか。 全体図を掴む学習も、秘密基地づくりの中に組み込んでしまったりする。 買ってきたテントとはまるで違うから、子どもも楽しいのだ。

完璧な母ではない。むしろ傷だらけで、その傷ごと自分を育ててくれた母に、子どもは感謝するのだと思う。

ただ、その深さは、産んだから生まれたものではないと私は思っている。 決められない時間を引き受けたこと。かつての成功パターンを一度手放したこと。 それでも自分で決めてきたこと。その過程が、その人に残したものだ。

だとすれば、この時間は無駄にならない。どこに着地したとしても。(終)

追伸(P.S)

今は、ARTの記事を書く前に 私が患者さんたちと使う「共通言語」を書かせて頂きました。

馬車を引くために遮眼革とハーネスを装着した二頭の馬と、手綱を握る御者の手を並べた画像。視野を絞ることと、意思を伝えること——ART治療において拡散する選択肢を収束させる「ハーネス」の比喩を示している。

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